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   鈍色の空−その1              古賀 和彦

 今日も鈍色の厚い雲が空一面に垂れ込め、積もるほどの量でもない粉雪がちらちらと舞い降りる、厳しく冷え込んた師走の一日だった。僕は家庭教師のアルバイトへ出掛けなければならなかったので、早い夕食を作るためにアパートの廊下に面した薄暗い台所に立った。実用一点張りで何のしゃれっ気も感じられない、黄色くて大きなアルマイト製の薬缶を火に掛けた。昨日街で買ってきた納豆と固ゆで卵二つ、インスタントラーメン、それにキャベツともやしとアメリカン・ベーコンの野菜炒めを作った。
 僕は浪人時代に道玄坂の途中から右に曲がり、百軒店商店街の急な坂を突き当たる前にまた右に曲がった、アルジェリアのカスバやイタリアのアマルフィのような狭くて薄暗い隘路のあたりを彷徨いていた。その恋文横町といわれていた一帯は、人一人やっと通れる路地で、いつもじめじめと濡れていて、両方からせり出した庇で覆われた空間は、青空を見せない洞穴のような坂道だった。僕は時々貧しい懐の財布をはたいて、その暗がりの奥で食べた野菜炒めの味が今でも忘れられなかった。だから料理の献立に窮すると何時もそれに行き着くのである。醤油を少し垂らし、辛いラー油をたっぷり掛けて、故郷では味わったことのない中華料理の初めての味をその時美味いと思った。



 「次郎さんいる?」とドアを開けて由美ちゃんが声を掛けてきた。「どうぞ入って」と僕が返事すると、彼女は目立つほど大きくなったお腹を突き出しながら現れて、一日中出しっぱなしの六帖にある炬燵に、僕と向かい合った座布団の上にどしんと横座りに納まった。
「ご主人はもう出掛けられたんですか」
「そうよ、いつもゆっくり出かけるのに、ミィーちゃんは珍しく今日は遠くまで行くというので早起きしたのよ」
 「ミィーちゃん」と由美ちゃんが呼ぶ彼女の夫は、正式には巳之吉といった。雪女の時代ではあるまいし、今の世の中ではどうも古くさい名前を親から貰ったものだと僕は思った。中肉中背で顔は渋く日に焼けていて精悍な風貌は、僕の付き合う軟弱な仲間達とは違っていて、裏の世界に通じているようだとまではいわないが、寡黙でどこか油断のならない鋭い野生の匂いがした。
 僕は彼等の年齢を確かめる程無遠慮ではなかったので、この夫婦の正確な年齢は判らなかった。話の中で判断すると由美ちゃんは僕より三つ程年上のようであったが、巳之吉さんはさらに15歳くらい上で、40歳前後と思われた。それくらいの歳であれば、生まれた時代ではそう古くさい名前でもなかったのかも知れない。そしてまた田舎者を誑かす職業でないだろうかという可能性もなくはないと僕は想像をたくましくしたりした。兎に角巳之吉さんは外交の仕事をしているようで、大きく膨らんだ黒い革の鞄を提げて出かけて行った。世情に疎い僕には由美ちゃんにそのことを確かめることもしなかったので、いつまでも彼の職業は謎めいて見えた。
 夫が巳之吉さんだから、由美ちゃんは雪女のようにゾクゾクするような美女かというと、普通の太ったどこにでもいるような平凡な顔立ちで、その物語の登場人物に思いを馳せるとしたら、残念ながら少々期待はずれに終わるだろう。しかし「子供を身ごもってから肥りだしたのよ」と言われてみると、僕もなんだか彼女がまだ独身の頃は、結構ぽっちゃりしたおきゃんな魅力ある娘だったに違いないと思えてきた。街の中央で大きな燃料問屋の娘だったというから、そういわれればそんな面影が残っているように僕にも思えてきた。
 由美ちゃんの実家は奥羽街道に面していて、石炭や炭などを商う大店で、広い屋敷を構えていたのを僕も知っていた。父親とどういう諍いがあったかは詳しく知らないが、どうせ金持ちの旦那が女狂いをしたか、継母が家を仕切るようになったのか、何時のころからかヤンキーとなり家を出て盛り場で屯していたところを、巳之吉さんに見初められたという話である。



 大学に入学した最初から、今いる「栄荘」のこの部屋で3年間ずっと過ごした訳ではない。東京の1年間だけでも5回下宿を変わったという転居魔の僕だから、「山椒魚」のようにじっと一所に落ちついている訳はなかった。一度も来たことのないこの街での下宿屋探しは、大学の入学案内に書いてある様式のはがきを学生課宛に出して任せてあったので、そんないい加減な斡旋はしないだろうと安心していた。
 僕は4月の初めに、チッキで送った大きな蒲団袋を国鉄の駅で受け取り、タクシーに乗せて紹介された下宿へと向かった。郷里では桜の花も散り始めるという春の暖かさに浮かれていた僕の体は、北の国ではまだ早春と言った気温の肌寒さに驚き、どんよりとした鈍色の空はすでに薄暗く、日も暮れようとしていた。知人もいない未知の街に降り立った僕の虚しさや不安に追い打ちを掛けるように、もう部屋は塞がっているという大家の理不尽な断りの言葉を僕は受け取った。その大家の知り合いの、別の下宿のお女将さんが迎えに来てくれたとは言え、その心のない仕打ちが僕には、これからの4年間の学生生活が楽しいものにはならないような暗示に思えて、この空のように灰色に染まっていった。



 3年生の初夏の頃、麻雀仲間だった、今一緒に住んでいる藤原と山本の、「こっちへ来いよ」という奨めもあって、この栄荘にやって来たのだ。ここは国鉄の駅や繁華街から四キロほど離れた高台の辺鄙な場所で、廻りは赤土の畑がなだらかな丘陵を形成していた。そんななかに点々と、若いサラリーマンや学生の為のアパートが散在していて、栄荘からは南の丘陵のニセアカシヤの林が望め、俗世から隔離された住処に思えた。痩せ地でも育つために薪炭材としても植えてあるのか、波のように連なる畑の所々にその木々は、葉を落とし空に向かって林立する等間隔の垂線は心地よいリズム感を僕に与えた。
 この栄荘は木造の二階建てで東西に長く、1階には小さな可愛い一人娘と一緒に住む、後家になったばかりの大家さんの部屋の外に4戸、2階には5戸あり1DKの各部屋はすべて南の畑に面していた。玄関には格子状に仕切った下駄箱があり、正面には広い階段が二階に通じていて、各部屋に沿った長い片廊下を見ると、ずっと昔小学生だった兄が通っていた、郷里の小さな分教場を思い出した。
 住み始めた時は、春山という学年は同じだが一つ年上の役者顔をした男と共同で部屋を借りた。彼は細面で鼻の下の長い九代目・松本幸四郎に似ていなくもなく、曳いた豆をパーコレーターにかけて抽出した珈琲をブラックで嗜み、休日には久留米絣の着物を着るという、ちょっと気障な学生だった。そんな気質が僕には合わないからといってその部屋を出たわけではなかった。
 ある日学校から帰ってきて、いざ部屋に入ろうと何度も鍵を回しが、ドアが開かない。春山が部屋にいるのは気配で分かったので、ドアを叩いた。しかし内鍵を外そうとしない。僕は二階の藤原と山本の部屋に行って、春山が部屋に隠ったまま出てこないと言った。「ああそれはクマさんが来ていて、君に邪魔されたくなかったのだよ」と藤原はしたり顔で教えてくれた。
 春山が付き合っているクマさんを僕はその時知らなかったが、後日ちょくちょく栄荘で見かけるようになった。苗字に熊の字がつくからそう呼ぶのか、本当の名前もその渾名の言われも僕には判らなかった。たしかに春山より背も高く骨太の、女性にしては巨体だった。しかし静かに話す様は見た目に反し、心立ての優しい人だと僕にも解った。だが春山との同居は、たびたびこんなことが起こるからいやだと藤原と山本に話したら、「じゃあ、この部屋へ来いよ」ということになり、僕も二階の今の部屋へ引っ越して3人で住んだという訳だ。



 ぼんぼんらしい大らかな性格の藤原は大阪へ、性格的には僕に似ているような、いつも眉根に縦皺を寄せているストイックな感じの山本は、富山へと帰省して行った。そして僕は家庭教師のアルバイトでこの冬休みを一人この部屋に残ることになった。由美ちゃんとは藤原や山本ほど長いつきあいではなかったが、退屈すると一人本を読んでいる僕の部屋へ来てはいろいろと、僕には考えられないような世間話をしていった。
 「このお腹の子は誰の子か分からない」と告白した。僕の同僚の藤原の子かもしれない、それともご用聞きにくる背が高くちょっとハンサムなクリーニング屋の子かもしれないと言い出した。僕はどう返事したらいいのか言葉に詰まった。由美ちゃんの言い方は悩んだ末の告白といった感じは微塵もなく、あっけらかんとしたものだった。クリーニング屋は修行中に親方から虐められて、尻に大きなアイロンの形のやけどのあとがあるとか、窓の向こうのアカシアの林のなかで抱き合ったのだ、などと妙に具体的な言いぐさだ。
 藤原との関係は僕にはどうも眉唾に思えた。なぜなら藤原は日頃山本や僕とほとんど一緒の行動をとっているのだから、そんな隠微な関係になる暇はないと思えた。しかし真実であったとしても、このことを巳之吉さんは知っているのだろうか。僕が同じ立場であれば決して口外はしないだろうと思った。それともこんな僕のような世情に疎い男を捕まえて、ありもしない嘘をついて悪ぶることで人に存在感を誇示するようなヤンキー娘としての行為なのか、僕には判断はできなかった。



 巳之吉さんは帰宅も夜遅くまちまちであったので、夕食を一緒に酒を酌み交わすような機会はなかったが、ある時「次郎君、何かあったら臨月の由美をよろしく」と彼は僕に頼み事をした。それがいつどのような急な出来事が起きるのか、思いもつかないまま僕は頷いていた。そして結果的にはその頼み事を忠実に守り通したのだ。
 夕方になると由美ちゃんが「次郎さん、お風呂に行こうよ」といって、薄緑のプラスチック製の洗面器、石けん、タオルを抱えて部屋に入ってきた。銭湯までは歩いて15分ほど掛かった。坂道を五分下ると国道に突き当たる。しかしこの舗装されていない坂道は、数日前に降った雪が車の轍の跡で凸凹に凍りついて、非常に歩きにくかった。僕は由美ちゃんが転倒しないように手を引き、ゆっくりと坂を下って行った。
 洗い髪や濡れたタオルも数分外気に晒すと凍ってピンと逆さに立つほど外の寒さは厳しかったが、ゆっくり暖かい湯につかって出てくると、かえって気持ちいいくらいだった。
 由美ちゃんは着物の上に褐色の綿入れ半天を羽織っている。僕は父のお下がりの、厚くて足首までありそうな長さの、黒くて時代遅れのウールの外套を着ている。お腹の大きい和服の女と散切り頭の書生のような男との妙な取り合わせの二人連れは、不幸を背負いながらも滑稽で様にならない道行きのように見えただろう。



 僕は週に3日、駅前の近くの零細の印刷屋まで循環バスに乗って出掛けた。年が明ければ高校受験が待っている中学生の女の子に、最後の追い込みとして英語と数学を教えるのである。夕食の終わった午後7時に、印刷の作業場と住居が一緒になった仕舞た屋の、もう雨で隅の方が捲れ気味の合板の玄関ドアを開いた。
 このアルバイトは僕が見つけたものではなかった。、いまでも週二回で月千円という報酬も、指導が終わってからの蒸かしイモのおやつにも、よく考えてみると割が合わないようなものがずっと僕の頭の中に残っていて、とても納得は行くものではなかった。同人誌「傾斜」を森が涯名涯、僕が塵風太郎というペンネームで2人で作った折りに、学生フォーラムの委員だった高橋とは顔見知りだったから、学生会の部屋の謄写版を借りたことがあった。高橋は活動が忙しくなったから、家庭教師のアルバイトを肩代わりしてくれないかという相談をしてきた。僕はその種のアルバイトの経験もなかったが、気軽な気持ちで行きがかり上引き受けた訳だ。
 鉛合金の活字を何十年も扱っているために、手や顔は薄墨を塗ったような艶のない不健康で疲れた様子の顔が、やっと残業の仕事が終わったといって話にくる女の子の父親と、世情に疎い僕との会話は何の共通点も見いだせず、ほとんどかみ合わないものであった。
 女の子は物覚えが悪いし、この年頃の娘特有のはち切れるような若々さや愛嬌もない、まるで広末涼子が薄笑いしながら暗がりに立っているような薄気味悪さと、自ら質問したり話しかけたり、打ち解けるという積極性はまるでなかった。僕は目指す女子校に合格させるための学力を身につけさせる自信はまるでなく、このアルバイトを引き受けたことを半分後悔し始めていた。それは僕の指導力や信頼性もなかったのかも知れない。高橋の方がずっと能力があった知れないと思った。しかし一方彼もまた本当は実りのなさに愛想を尽かして、体よく僕に押しつけたのかもしれないとも思った。



「次郎さん、ちょっと体の具合が悪い」といって、由美ちゃんが部屋に入ってきた。僕はどういう具合だと聞くと「生まれそうな気がする」という。僕は「とにかく僕では判断できないから病院に電話してみるから、由美ちゃんは部屋に帰って、入院に必要なものを用意して横になっていてよ」といって電話のある1階に降りた。
 こんな時に、誰の子だろうな、巳之吉さんに似ていないでだんだん藤原やクリーニング屋の兄ちゃんの顔に似てきたらどうするつもりだろうと、不謹慎な考えが頭に浮かんだが、あわてて頭を振って打ち消した。
 病院と巳之吉さんの会社とタクシー会社の電話番号を彼女から聞き出し、順番に電話した。病院は由美ちゃんがどんな具合か具体的に話せというが、僕はそんなことは当事者でないから、どこがどう痛いのか、どう変なのか判らないというと、主治医が出てきて「もうそろそろ出産の予定の範囲だから兎に角病院に来るように」という指示があった。その次に巳之吉さんへ電話をしたが、女性の事務員が出てきて、いま仕事で外交に出ているというので、かくかくしかじかの事情が生じたという伝言を頼んで、タクシーを呼んだ。
 車に乗るまで15分くらい待った。二人のいる玄関ホールは寒々として人の出入りはなかった。由美ちゃんは車の中で苦しそうに僕の肩に頭を押しつけてきた。
 彼女が診察室へ行っている間に、僕は入院の手続きのことを看護婦さんに尋ねていた。そこへ巳之吉さんがやって来た。僕は巳之吉さんから頼まれた仕事はここで確かに終わったことを知り、ここに残っていてもこれ以上することはなかったので、帰りますといって病院を出た。



 周りの人たちはいつの間にか去っていき、栄荘での僕の生活はまた誰とも交流のない一人ぽっちの時間が流れ出した。由美ちゃんは女の子を出産したという噂は聞いたが、病院で別れて以来会ってはいない。どこかの一軒屋でも借りて、巳之吉さんと赤ん坊の三人で暮らしているのだろうか。その後彼らはこの栄荘に再び戻って来ることはなかった。
 熱い情熱を注ぐような対象を持たない今の僕の心の中には、何時も小さな満たされない空白の場所があった。それは物質で満たされながら未だ姿にならない混沌の状態とも違っていた。それは物質は存在しないが、姿の見えない希求というエネルギーに満たされた真空の空間というべきか、僕はジェロームのアリサやジュリアン・ソレルのレナール夫人を探し求めて彷徨うのだが、身近なところで捜し物をせず、いつも遙か遠い時間と場所に惹かれていくのが常であった。
 誰もいない部屋でラジオから、モーツアルトの弦楽五重奏曲第4番ト短調K.516の悶え喘ぐような暗い旋律が聞こえてくる。僕は窓からニセアカシアの林や遙か向こうの鈍色の空の彼方を見ている。そうだ、四月になればまたどこか違ったアパートを探してみようと僕は思った。